駐在員を僅か3ヶ月で退職

精神的にも肉体的にも疲れ果ててしまった5月のある日、事件が起きました。
畑違いのところからやって来た年下の上司である私と、中国で現地採用となりベトナムへ移ってきた20歳以上も年上の部下(といっても課長)であるTさんと衝突してしまいました。(Tさんは工場内においては工場長に次いで2番目に偉く、生産ラインをほとんど任されています。)
衝突の原因は本当に下らないこと。予定出荷数と実数が合わなくて、軽く尋ねたつもりだったのが、相手にとっては癪にさわってしまったようでした。互いに慣れない環境下での労働にストレスがあったようで爆発してしまいました。直ぐに事なきを得たのですが、私に対する相手の気持ちがわかってしまうと、ほとんどのスタッフが年上の部下なので皆がTさんと同じようなことを思っているのではと思ってしまい気分が重くなりました。
それからは工場へ出勤するのが億劫になり、みんなと一緒に工場へと向かう車には乗らず自腹を払ってでもタクシーで行くようになりました。そして、毎週末楽しみにしていた社長や工場長たちとのゴルフを断るようになってしまいました。
一度、負のサイクルに入ってしまうと大変。仕事への希望はなくなり「いつ、辞めようか」ということしか考えられなくなってしまいました。大学時代からの友人や日本の同僚、誰に相談しても「辞めてどうするの?」と言われてしまいます。みんなから期待され、送り出されたはずなのに、何も結果を残せず散ってしまうなんて。「会社を辞める」これは私自身のプライドが許せないわけではなく、周りの人の期待への裏切りとという罪悪感のほうが強い。でも、もがけばもがくほど底なし沼のように沈んで行くだけの状況。そこから抜け出す術は「会社を辞める」し思いつかなかった私。
「会社を辞める」と決めた私は早かった。給料や退職金が出ないのを覚悟の上で日本へはメールで退職の旨を送り、現地では社長と工場長に忙しい時間を割いてもらい直接辞表を提出。仕事の引き継ぎは無理矢理1日で終わらせ「サービスアパートメントは3日以内には出ます。」と言い、退職願を出した翌日から仕事に行きませんでした。
辞める時は自分勝手にわがままを通してしまいました。「3日以内にはサービスアパートメントを出る。」と言ったので先ずは家を探すことになりました。
会社と家の往復の毎日だったのでホーチミンに3ヶ月以上居ても、どこに何があるかなんて知りませんでした。知っているのは、たまに社長や工場長が連れて行ってくれた日本食レストランくらいでした。当てもなく彷徨っているとバックパッカー街へとたどり着き、しばらくはそこで滞在することを決め、直ぐに荷物を移動しました。
家が決まったところで一番話しやすかった社長に電話を入れると、勝手気ままで急なことだったのにも関わらず、退職願は受理されたようで本当に駐在員を僅か3ヶ月で退職してしまいました。
ちなみに残された日数は有給休暇で対応してくれることになり、少ないものの退職金が出ることも教えてくれました。