私がベトナム駐在員となったワケ

実は私、ベトナムへやって来たのは駐在員としてでした。
本当に駐在員時代は苦労の連続でした。
日本で就職したのは、あるジャンルの製造業でした。海外にも幾つか拠点があり、現地で安く製造しては日本や諸外国で販売するというスタンスの会社です。
そこの会社は大学時代から憧れており、本命にしていた会社なので決まった時は周りに知らせまくったのは今では良い思い出です。
デザイナー志望だったのですが、入社して配属されたのは営業企画部でした。直接的にデザインに携わるわけではなかったものの、間接的にはデザインに携われるだけでなく新たに提案をすることだって出来たのでデザイン専門の仕事よりも私には向いているように感じ、日々やりがいを持って仕事をしていました。
就職してから3年で主任となり、次期課長候補と持て囃されていた5年目の夏に辞令が出ました。しかも課長ではなく部長への昇進でした。ただ、これには手放しで喜べない事実が隠されていました。
それは今迄の中国の工場だけではなく、新しくベトナムへ進出する工場で生産管理部の部長ということでした。
新規進出なので立ち上げメンバーということになりますが、現地法人の社長や工場長は中国進出の際に立ち上げたメンバーということで、あまり不安がないように感じました。
ベトナムだけでなく東南アジアへは、大学時代にバックパッカーとして何度か訪れたことがあり、もの凄くマンパワーを感じれる面白そうな国だと思っていました。
だから不安な要素はなく、面白そうな国だということで二つ返事でベトナム赴任を決めたわけではありません。
これらのことが後押しとはなりましたが、なんせ好きなデザインとはかけ離れた仕事になるのですから。
辞令が出てから2週間、考える時間を与えてくれました。
その間は上司から不安要素の払拭に努めたような説得、同僚から「出世コースに乗ってるね。」という嬉しい妬み、友人から「アンタ、東南アジアで働きたいと言ってたじゃん。」という言葉などを掛けられました。
期日の2週間が経ち、会議室へと行くと直属の上司だけでなく、ベトナム工場の工場長とベトナム現地法人の社長に加え、人事部長、専務、社長といった錚々たるメンバーが居ました。
『これ、断ったらどうなるんだろう?』という好奇心に負けそうになりましたが、予定通り「ベトナムへ行かせて下さい。」と伝えました。社長からは「デザインが好きと聞いているよ。デザイン系の部署がないけど、企画や提案によってはいつでも動けるようにしているから提案して下さいね。」と言われました。
ベトナム法人の立ち上げと工場の開所式は11月上旬でしたが、担当しているプロジェクトが12月上旬までの予定だったので、ベトナムへ行くのは余裕を見て2月2日となりました。